護国寺
ごこくじ
京の市井に生まれた桂昌院は幼少期から社寺へ参詣し、終世、観音様へ篤い祈りを捧げたといいます。人々に安寧をもたらす澄みやかな場を、江戸のまちにも求めた桂昌院は寺の建立を発願。五代将軍徳川綱吉公は、天和元年(1681)、幕府の薬園のある高台に神齢山悉地院護国寺を創建し、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を祀ります。
元禄時代の見事な観音堂(本堂・重文)を留める名刹でありながらも明治期には苦難の時代を迎えますが、財界人・髙橋箒庵によって再興への道が開かれます。和歌や俳諧をよくし、文学にも明るい箒庵は、桂昌院が寺に込めた想いを読み解くように、数寄屋建築の名匠仰木魯堂と共に寺観をととのえ、とくに桂昌院の一字、「桂」が中国の伝説で月の中の植物を意味することから、建築意匠や名称に月をさまざま散りばめています。
箒庵は、名物石灯籠20基、休息亭、阿部仲麻呂ゆかりの仲麿堂、三笠亭と境内を充実させていくなか、裏千家の業躰藤谷宗仁を守護役に迎えるなど首尾よく動きます。さらに、名物道具が中心の近代数寄者にとって重要な人物であった大名茶人・松平不昧公の墓を護国寺に移転させ、それを機に護国寺が茶道本山であることを明らかにしました。以後、護国寺は大師会の会場も務めるようになります。
箒庵が生前に建てた茶室は三笠亭、箒庵、圓成庵、不昧軒、宗澄庵、化生庵、月窓軒、艸雷庵の八つ。没後には蘿装庵も加わり、現在は九つの茶室が境内の西側に集中しています。また、滋賀県の三井寺の日光院を移築し、内部には狩野派の手になる障壁画が残る月光殿(重文)や、同じく滋賀県の石山寺の一宇を模写した多宝塔など見どころにも富み、日本の美の本質を知る近代数寄者によって新たな命を吹き込まれた古寺の魅力が迫ります。
元禄10年(1697)に造営された観音堂(本堂・重文)。内部に如意輪観世音菩薩像を祀っています。堂々たる大建造物は幾多の戦火や災害をくぐり抜け、元禄期の文化を今に伝えています。
昭和13年建立の不老門は京都鞍馬・由岐神社 割拝殿を基本に設計されています。昭和12年(1937)10月、鎮護国家世界平和を祈願して三尾邦三氏より寄進されました。
多宝塔は石山寺の一宇を模したもの。石山寺は紫式部が『源氏物語』を書き始めた寺とされ、月の名所として知られています。護国寺は文学と建築の融合が随所に感じられます。
三井寺の塔頭・日光院が近代の実業家である原六郎邸を経て、護国寺に移築。その後に月光殿と改称されました。
月光殿に附属した大玄関は東京麻布の旧備前蓮池藩主鍋島子爵邸から移築されたもの。
月光殿の内部はかつて狩野永徳筆の障壁画で装飾され、その文化的背景を大床の『蘭亭図』が留めています。
20基が列立する名物石燈籠。髙橋箒庵が石工に命じて動かすことのできない全国有名寺院の石灯籠の寸分違わないレプリカとしてつくらせました。
名物石灯籠の脇に建つのは、西園寺公望揮毫の「除闇之碑」。その亀趺は京都一休寺・佐川田昌俊の墓を本歌としてつくられました。なるほど、17墓の石燈籠の窓が本堂の観世音菩薩を照らすように向いています。
山内において仰木魯堂が初期に手掛けた建造物である休息亭は大正12年(1923)に完成しました。京都桂離宮「四つ腰掛卍字亭」の意匠を取り入れ、向かい合って座っても互いが正対しない配慮がなされています。
松平不昧公の墓。もとは浄土宗江戸四ヶ寺のひとつ、芝の天徳寺にありました。関東大震災の被害に会った際、松江の月照寺に移されることになっていたが、東京に留めるよう箒庵が護国寺に転墓させました。『古今名物類聚』を編纂し、名物を体系化したことで近代数寄者の茶の湯に多大な影響を残した不昧公の墓は、護国寺が茶道本山となるための本尊として迎えられました。
髙橋箒庵の墓石。水がかかることで阿弥陀如来の像が浮かび上がります。箒庵は、廃仏毀釈により仏教文化が破壊されるなか、寺の柱の礎石を積極的に茶に取り入れ、赤坂の自邸には伽藍石で作庭した茶室を伽藍洞と名付けました。墓石の土台となっている部分もまた伽藍石です。
髙橋箒庵のもと護国寺の数々の茶寮や建物を手掛けた棟梁が、仰木魯堂。茶寮群の脇にある魯堂顕彰碑は昭和3年(1928)11月に魯堂輩下の応宣会が建立しました。
仰木魯堂の墓も護国寺山内にあります。命日は昭和16年(1941)9月20日、79歳没。
埋経塚の西側に仰木魯堂の墓は建てられました。「埋経塚」は益田鈍翁書
茶寮群は、茶室の水屋前に車が停車できるように整備され、お道具の運搬の利便性を考えた設計となっています。
松平不昧公の墓の移築を機に建てられた二つの茶室、圓成庵と不昧軒。一棟の中に鞘の間を隔てて小間(圓成庵、写真下)と広間(不昧軒)があります。
所在地 | 東京都文京区大塚5-40-1 |
TEL | 03-3941-0764 |
拝観時間 | 本堂(観音堂)9:00~16:00(12:00~13:00は閉堂) ※茶室は通常非公開です。茶寮事務局までお問合せください。 |
アクセス | 東京メトロ有楽町線「護国寺駅」1番出口すぐ |
茶寮のご利用について
護国寺の茶寮群を紹介した デジタル茶の湯マップ 特別ページはこちら |
茶寮は通常は非公開です。 茶事・茶会等での利用のご希望は、下記の使用規定をお読みいただき、使用届にてお申し込みください。 尚、ご不明の点は音羽護国寺茶寮事務局までお問合せください。護国寺では髙橋箒庵翁により整備された茶室群を維持・管理し、ご本尊如意輪観世音菩薩の浄刹において茶道などの日本の伝統文化興隆をはかり、集う人々が心を穏やかに実りある時を過ごしていただくために、希望者に茶寮の貸し出しをされています。 茶寮は使用規定に則ってご使用いただき、文化遺産である茶寮の護持にご協力くださいますようお願いいたします。 ▶令和3年護国寺茶寮使用規定 → こちらからダウンロードしてください。 (記載内容) 感染症対策としてお願いする事 使用できる茶寮について 各席の入席制限について 水屋の密を回避 20名までの小規模茶会について 茶席について 道具・備品について 使用時間・料金について 炭について 前日準備について 下見について アルバイトについて 駐車場について 茶寮使用料金 ▶ 使用届書 → こちらからダウンロードしてください。 ▶ 使用届書 お送り先 音羽護国寺茶寮事務局 FAX 03-3941-0721 Email nyoirinkannongmail.com |