清月堂本店
せいげつどうほんてん
歌舞伎座や新橋演舞場に近く、ビルの間に数寄屋造りの老舗料亭が点在する銀座7丁目界隈。清月堂本店がここに店を構えた明治40年(1907)当時の地番は京橋区木挽町7丁目といい、明治新政府の要人を贔屓筋に持って隆盛した新橋花街の中心地でした。初代の水原嘉兵衛さんは同郷の政府高官・前田正名に和菓子職人の道をすすめられ、鹿児島から上京。日本橋小網町の三橋堂本店で修業後、29歳で独立しました。店の近くには三十間堀川(今の昭和通り)などの運河が流れ、商人や職人、芸妓らが橋を渡って行き交う様など風情があったといいます。「清月堂」という屋号も、水面に映る月の美しさに由来しています。初代は得意な生菓子の葛桜と水羊羹で定評を得、やがて山縣有朋、西園寺公望、伊藤博文などの上客を得て家業は発展しました。
伝統に甘えることなく代々の当主が自分の菓子をつくる「一代一菓」は、初代が残した家訓です。「江戸好み」など半生菓子を得意とした二代目、看板商品の時雨菓子「おとし文」を創作した三代目、そして平成14年(2002)に四代目社長に就任した康晴さんへと、その信条は受け継がれてきました。康晴さんは「栗太郎」「蓬の峰」を創作。同30年(2018)に創業111年を記念して発売した「あいさつ最中」では、従業員全員が調製に参加するという新しい試みに挑戦しました。「年中行事と和菓子は深く結びついてきましたが、近年はそれが変わってきています。あいさつ最中は“わかりやすさ”を重視して和菓子の復権をめざしました。これからも挑戦を忘れずに、今の時代に合った、新しくておいしい和菓子をつくっていきたいですね。」
旧築地市場へ至る中央市場通りに面した店内。金箔の屏風や大甕に生けた大輪の花など、落ち着いたなかに華やかさが漂います。
旧京橋区木挽町時代、お正月の正装で店舗の前に勢ぞろいした初代の家族と従業員一同。
「いいお菓子をつくって、おいしいといわれるのがこの仕事の醍醐味です」と四代目社長の水原康晴さん。幼少のころから和菓子が大好きで、じつは職人になりたかったとか。
握手する人の手をハート型にデザインした「あいさつ最中」。“粒餡入り最中”という前提は康晴さんが示し、そこから先の商品化に向けたプロセスには従業員全員が参加、1年かけて完成させました。和菓子になじみの薄い若い人にもアピール力のある創作和菓子です。
「あいさつ最中」の製造ラインの一部。型のデザインが決まり製造ラインに乗せるまで、試行錯誤の繰り返しだったそうです。
三代目が考案した「おとし文」は、清月堂本店の看板商品のひとつ。黄身餡をこし餡で包んで蒸した、ころんとした形がかわいらしい上品な甘さの時雨菓子です。季節に合わせて餡の配合や蒸し時間を微妙に調整し、ほろりとほぐれる口どけのよさを大切にしています。5個入り756円。
「おとし文」の季節限定バージョン「旬のおとし文」のひとつ、「りんご」(1月〜2月中旬)。リンゴの果肉と果汁を練り込みシナモンを利かせた白餡を黄身餡で包みました。4個入り648円。
2020年9月末から販売を始めた最新作は、和クッキーの「月 時々 咲(つきときどきさく)」。詩的な名前がすてきです。見た目もパッケージも洋菓子のようですが、バターは使っていません。8枚入り648円。
色彩豊か、細工も繊細な季節の上生菓子も清月堂本店自慢の品。ベテランの和菓子職人でもある工場長の堀内誠さんが一つ一つ心を込めて手作りしています。下は三角棒で水仙の花びらの形をつけているところ。
高校球児だった堀内さんは卒業後、長い年月をかけて技術を身につける仕事に憧れ、手先の器用さが生かせる和菓子職人の道へ。42歳で清月堂本店に入社し、全社挙げての「あいさつ最中」プロジェクトでは工場長として取り組みました。「あの経験があるから今の私があるといってもいいくらい踏ん張りました」
住所 | 東京都中央区銀座7-16-15 清月堂本店ビル1階 |
TEL | 03-3541-5588 |
営業時間 | 9:30~19:00(土曜は9:30~18:00) ※状況により変更になる場合がございます。 |
定休日 | 日曜・祝日 |
アクセス | 東京メトロ日比谷線・都営地下鉄浅草線「東銀座駅」6出口から徒歩5分 都営地下鉄大江戸線「築地市場駅」A2出口から徒歩5分 |