月釜・茶会

ジャンルで探す

注目! 地図で探す
買う 食べる 泊まる 体験する 見る 抹茶をいただく 月釜 美術館 お茶の旧跡 お寺・神社

蓮馨寺

れんけいじ

「蓮馨」の意味は、“極楽浄土に咲く蓮の良い香り” 。
地域の祈願所として親しまれる浄土宗の名刹。

中世は関東の覇権を争う武将たちの重要拠点であり、江戸時代は北方の守りとして親藩・譜代の川越藩が置かれた町、川越。街道や舟運の要衝にあったことから、城下は農産物はじめ絹織物や工芸品の集積地として栄え、学問も盛んでした。9世紀に円仁(えんにん)が開いたと伝わる喜多院、15世紀に太田道真・道灌(どうかん)父子が築城した河越(かわごえ)城、17世紀に天海僧正が創建した仙波東照宮など、市内には由緒を誇る寺社、旧跡がいくつも残っています。

蓮馨寺もまた川越で歴史を重ねてきた古刹です。室町時代末期の天文18年(1549)、当時の川越城主・大道寺政繁(だいどうじまさしげ)の母・蓮馨尼は、社会の平安と民衆の心の安らぎのため政繁の甥・感誉存貞(かんよぞんてい)上人を開山に迎え寺を創建しました。これが蓮馨寺の始まりです。慶長7年(1602)には増上寺を頂点とする幕府公認の学問所「関東十八檀林」のひとつとなり、以来、浄土宗の発展に深く関わってきました。

住職の粂原恒久(くめはらこうきゅう)さんは感誉存貞上人から数えて四十八代目にあたります。慶應大学法学部を卒業後、大正大学大学院で浄土学を修め、経典・典籍を研究する浄土宗総合研究所の創設メンバーとなり、また宗派を超えた全日本仏教会の国際文化部長として国際仏教徒会議に出席するなど、精力的に活躍。一方で12年前に小江戸川越観光協会の会長に就くと明治の蔵造りの建物の保存に取り組み、重厚な商家が立ち並ぶ「一番街」は人気の観光スポットになりました。

蓮馨寺は子育て・安産の仏様「呑龍上人(どんりゅうしょうにん)」の祈願所であり、小江戸川越七福神の福禄寿神を祀る霊場でもあります。かつては境内で相撲やサーカスの興業もあったとか。今もさまざまなイベントが開かれる庶民の寺として親しまれています。


「浄土宗のお坊さんは、目尻の下がり気味の人が多い。何事にも感謝の心をもってあたり、事を荒立てないんです」とにこやかに語る粂原恒久ご住職。さまざまな団体・組織の要職にあり、淡交会埼玉県西武支部長も務めています。

2024年淡交会西武支部のスケジュールは下記です。

9/22(日) 研究会:やまぶき会館
11/10(日) 研究会:やまぶき会館
11/23(祝) 親睦茶会:彩翔亭


明治26年(1893)の川越大火をまぬがれた手水舎。江戸時代の職人の手になる牡丹唐獅子、鶴亀、唐子などの彫刻がみごとです。


鳳凰が舞うきらびやかな緞帳の奥に祀られているご本尊は、鎌倉時代の弘安元年(1278)に作られた阿弥陀如来坐像〔市指定有形文化財〕。穏やかな微笑を浮かべた美しい仏様です。



本堂は川越大火ののち、大正初期に再建されました。棚に積まれているのは江戸時代の檀林の教科書。

 


母校の大正大学のほか東邦音楽大学でも教鞭を執るご住職には編著書も多く、なかでも『蓮馨寺日鑑』は、正徳4年(1714)〜慶応2年(1866)にかけて書かれた公用日記(埼玉県指定文化財)を解読し、注釈をつけた労作。檀林と祭礼、増上寺や川越藩、門前町に関する貴重な記録です。


蓮馨寺の境内は桜が多く、お花見スポットとしても親しまれています。


境内の一角に立つ講堂(達丈記念館)は、誰でも利用できる多目的コミュニティーホール。聖なる場所への入り口を象徴する、インド発祥の「インド門」を模したエントランスが目を引きます。



毎月8日の縁日は別名「呑龍デー」。境内には出店が並び、辻講釈や伝統芸能などが披露されます。


毎月第3土曜日(変更あり)には「KOEDO寺ピアノ」と銘打ち、誰でも自由に演奏できるストリートピアノを開催。終日、音楽を楽しむ人たちで賑わいます。

 

蓮馨寺
https://renkeiji.jp

所在地 埼玉県川越市連雀町7-1
TEL 049-222-0043
FAX 049-226-0676
開門時間 境内自由
アクセス 西武新宿線「本川越駅」から徒歩5分/東武東上線「川越市駅」から徒歩10分