はち巻 岡田
はちまき おかだ
創業は大正5(1916)年。船大工の息子として生まれた初代・岡田庄次氏が、妻のこうとはじめた小さな料理屋、それが「岡田」でした。ふたりとも料理に関しては素人で、だからこそ日々勉強を重ね、年中無休で夢中で働いたといいます。頑固で職人肌の主人と、気働きのある女将の組み合わせが評判になり、店には著名な文化人たちが足しげく通うようになりました。二代目の千代造氏、当代の幸造さんと、主人の人柄と味を慕う常連が絶えません。
大正から昭和に活躍した小説家で劇作家の久米正雄も、「岡田」を贔屓にしたひとり。「夏の夜の浅き香に立て岡田椀」と詠んだ岡田茶わんは、初代がすっぽん鍋からインスピレーションを受けて作った逸品です。作家の山口瞳に「これを食べないと冬がこない」と言わしめた鮟鱇鍋も初代から伝わる江戸前の味。ほかにも、小泉信三、川喜多半泥子、小村雪岱、岡本一平といった常連に愛されてきた料理の数々が、いまも味わえます。
建物は昭和43年(1968)築。1階はカウンター、テーブル3席と三畳の小上がり。2階に座敷、3階に茶室があります。料理はおまかせひととおりで1万5000円~。初代の肖像がお店を見守ります。
直木賞作家で大映映画の専務も務めた川口松太郎が初代の女将・こうの長寿を願って「不老こう」の文字を書いた寄せ書き。川口松太郎は当代・幸造さんの名づけ親でもあります。
三代目(当代)岡田幸造さん。おっとりとした語り口と笑顔からは人柄のよさが伝わってきます。
鶏の澄んだスープに、たっぷりの白髪葱と生姜。献立の筆頭を飾る「岡田茶わん」(900円)。
焼き立てあつあつの粟麩田楽に、たっぷりの味噌をのせて。
鮟鱇の”七つ道具”をあますところなく使った鮟鱇鍋は、冬の名物料理。
日本酒は杉の香る菊正宗の樽酒です。
お店の雰囲気に合った懐かしい黒電話。今も現役で使用しています。
カウンターには、常連さんから贈られた招き猫。
3階にある六畳の茶室「こう庵」。初代女将が使っていた和室を、お茶の心得のある幸造さんが15年ほど前に自分だけの稽古場として改装しました。その飾り気のない自在な風情が常連客に好まれ、茶事などに使われています。「刹那」の掛け軸、「こう庵」の扁額はともに大徳寺529世寛海和尚の書です。
「お茶を続けるうちに、禅が好きになりました」という幸造さんは、時に寺院で坐禅を組むそうです。風炉先には自ら、あんこうやいか、あなごなどの魚介と並んで達磨の墨絵を描きました。作陶も手掛け、写真の水指や茶碗は自身の作品です。
「三代目を継いでから、調理場に立つのは私だけ。ずっと一人でやってきました。これからも変わらないでしょう。それも自分らしいかな」
令和5年(2023)4月には「第1回 岡田茶会」を催しました。2階の座敷を待合、3階の茶室を濃茶席、1階を薄茶席にしつらえ、8名のお客をお迎えしました。
3階濃茶席。掛け軸は吉山明兆(兆殿司)の「縄衣文殊」、炉縁は法隆寺創建当時の秘木、釜は卍釜。仏教的なことが好きな幸造さんらしいセレクトです。
道具はすべて萩焼の陶芸家・岡田泰さんの作品です。泰さんが亭主を、幸造さんが半東を務めました。
1階の薄茶席。小上がりにテーブルを置き立礼棚に見立てています。風炉「白萩かいらぎ」、水指「淡青」、薄器「白萩窯変」、茶碗「淡青 馬蝗絆写」などすべて岡田泰さん作。萩の海の色を写した「淡青釉」は泰さんの代名詞です。薄茶席の亭主は泰さんと親交のある渡邊研治さんが務めました。
所在地 | 東京都中央区銀座3-7-21 |
TEL | 03-3561-0357 |
営業時間 | 17:00~21:00 日曜・祝日休 |
アクセス | 東京メトロ銀座線、日比谷線、丸ノ内線「銀座駅」A12出口から徒歩3分 有楽町線「銀座一丁目駅」9出口から徒歩2分 |